※pixivより転載
※バトルガレッガ二次創作
益者三友、悪者三友。家畜に知性も教養も無い。そう考えると、曇り空が青く晴れた。
友達なんて幻想。親友なんて妄想。全ての人が兄弟姉妹。親友。即ち、四海兄弟(Brotherhood of the Man)。コミュニティは常に鳥籠。精神的密室、灼熱か水に沈められるシンデレラケージ。
FM音源…。
もし、懐古主義ではなくても、FM音源の奏でる音楽を聴くと、レトロゲーマーたちは深い楽しみと昔の良さを、いつも噛み締めた。
個人的に、それは愛煙家が歯噛みタバコをたしなみ、好きこのむ感覚によく似ていたと思う。
当時も今も多くのモノたちが、ドット絵のザラザラした質感にベストマッチする、独特の金属音と波長変換による幻想のように響く音色に魅了された。
さて、FM音源とはいかなる楽器であったのだろうか。視覚的な表現で筆者なりに拙い解説をしてみると、
水面に移るいくつもの波紋が、作曲者の手腕とFM音源の働きによって、演奏中ずっと幾何学的な模様を描き続け、美しい抽象的で言葉では言い表せない、実写映像――そのような一種の動画を作り出す。…我ながらあまりにも難解だが、それに近い。
一言で乱雑に説明を片付けてしまえば、『他に類を見ない独特の響きや揺らぎによって音楽が成り立つ。』…ということだろう。
…。もし、チャンスがあるとするなら。実際、一度その音源の奏でる音楽を、あなたがたが聞いていただければ、その音源がどのようなモノなのか、何の解説も文章もいらないだろう。昔からこの世で一番偉大な書物にも、…神の子として生きた聖者の御言葉を、そう記録してあるように『聞く耳を持つモノは聞くがよい。』ということなのだから。
…いや、神の御言葉自体が音楽かもしれない。決して、耳に聞こえる演奏や楽曲だけが音楽として扱われる、そんな訳がないだろうから。
もしかすると、声高々に宇宙の震える音自体が音楽かもしれない。多分、数学の方程式が数学そのものであるのと、同じだろう。
さて、手持ちの書籍から言葉を引用してみると、偉大なる詩人・ゲーテ曰く、「音楽は、この世でもっとも高尚な芸術である。」…さらに、それはなぜか?という素朴な疑問に、待ち構えていたように偉大なる詩人は理由を述べる、「音楽は、世俗という不純物が一番混ざること適わぬ故に。」どうして、詩人が歌の無い楽曲、数学の抽象的表現といわれる音楽の核心と本質を突くほど、どうしてここまで深く理解できるのだろうか。
当然ながら、あの素晴らしい偉大なる詩人は…。職業柄根っから文系の人、…だが、音楽はとても数学的で科学的な世界であることを知っていたし、判りきっていた。それに、古代ギリシャ哲学の世界で、なぜ幾何学という理系分野がテストとして使われたのか、その理由も上に同じく。今の世には、論理に疎い文系を馬鹿にし、自らを『インテリの理系』と称する輩が増えているが、本当の知識人や賢者と言うモノは、決して文系か理系かは、全く気にしていないし、必ずどちらにも精通しているモノだ。
ただし、『神聖な学識』は途絶えてしまった。これからは、それがもっと深刻になるだろう。ただ、今僕に出来るのは、後の時代にその学識が帰ってくるように、もしかえってこなくても、語り継いでくれる者が我々の代や未来で途絶えないように、あるいは末永く継承され続けることを祈ることだけだ…。
---------------------------------------
…世界内存在に響く鼓動。そして、
…世に処する僕に響く、鉄とガソリンのオーラを帯びたパーカッション。
西方大陸の、港に面したしがない田舎町には、主に航空機や乗用車を扱う古びた工場がある。そして、その郊外には、まだ原初の大自然が残っている。なんとも、不可思議な環境だが、変に連邦国家のように100%に限りなく近く機械化・人工化するほうが比較にならないほど問題が多いだろう。
そして、当然ながら、美しい乙女の奏でる琴と例えるべき自然界の高周波と真正面からぶつかり合うように、ただ騒がしく耳に痛いだけ音、工場からかなり重い低周波が揺れ動き渡る。この高周波と低周波の不協和音は、僕達兄弟は完全に慣れていて全くの平気だが、仮に超音波も聞こえる超聴覚の持ち主だったら…。気の毒だが、相当来るだろう。彼と彼女には、産業革命は人類と文明における終りの始まりにしか感じられないだろう。
…実際そうなのだが。
「兄さん、バロンの修理と整備終わった?」
「ああ、もう終わったよ。すこし休もうか。」
毎日ただ一回だけの食事として、卵やチーズ、肉や魚すらも挟んでいないサンドイッチと紅茶を取る。言っておくが、コーヒーは泥水だ。飲めないよ。そんなの。
「…それにしても、近所に騒音に対して敏感で、やたら突っかかってくる人がいなくてよかったよね。」
「そうだよね。だって、そういうのはともかく、普通の一般人でもプロペラや機械の音を、何も知らないくせに騒音扱いするんだからね。」
確かに、プロペラの無機質かつあまりに重々しく苦痛を与える音は『うるさい騒音』だと誰もが認め、言うところではある。
だが、それにある一定の状況が加わったらどうなのだろうか。…例えば、誰も知らないところに、密かに工場を作った峡谷地帯、麗しく牧歌的な高原地帯、まさに人類の無鉄砲を体現した超巨大兵器生産ライン、撃ち捨てられたはずだが、そこにまた人と兵器が戻ってきた海上プラント。運命と浮遊感の鈍い色をした雲海。人間至上主義とそれからくる傲慢に裏付けられたヒト科達の『連邦国家という名の縄張り』。中心から辺境への秘密滑走路。
そして、鉛色の空に、青い景色。・・・ただ、そんな状況や雰囲気が加わるだけで、とても赴き深いものになるのではないだろうか。
鉛色の空(Leaden sky)をどんよりとした空気まで再現したメロディ。いつか晴れるだろうと思いながら、青い空を夢見る。
水面下の城壁(Underwater Rampart)を思わせる音楽。森の中に光が、水の下に歴史が沈んでいるこの美術的感触。
偏狭な視点(Tunnel Vision)を体現する音楽。人格と個性も無い機械たちのエンジンが刻む鼓動。
倒錯(Degenecy)を髣髴とさせる音楽。リビドー(性的本能)を捨てきれず、理想の機械になりきれない生物の哀愁。
反逆への自覚(Subversive Awareness)そのものである音楽。言葉には決して出来ない心の奥に潜んだ願望。
誇大妄想狂(Megalomaniac)の連邦国家を表現する音楽。「境界外にはお前より強い奴がゴロゴロいるんだ!」
境界精神(Marginal Conciouness)と僕達そのものを表現する音楽。中心ではないからこその存在感。
…景色を閉じ込めた音楽は、僕たちにとって理想郷を模した観光地だった。たとえ、それが見るにも居るにも耐えられず、実際そこいることが不快で、もしそこにいたら今すぐに、自ずから消え去りたい場所であったとしても…。幻想というフィルターが全てを美化させるのだ。恋人が人間としてあまりに不出来でも、聖人の如く無償の愛を注いでしまう彼氏や彼女のように。
…本来、愛おしくない憎いモノが、憎めなくなり愛おしくなるこの感覚。僕たちは矛盾ばかりの生き物だ。…それでも、意識的に人生を歩んで生きていたい。美しくも麗しい幻想を、心から本気で楽しめるような感じで。
…ご存知のとおり、僕たち兄弟はいうまでもなく科学理論を下地として、機械技師兼パイロットとしてやってきている。が、やはりというか、音楽を理論以上に解析・把握することはとても難しい。ただ、楽しんだり、味わうことが出来る。それでも、論理的には不可解すぎる。
やはり、科学は万能ではない。それでも、無神論系科学者の殆どが、科学理論でこの世の全てを説明できると信じ込んでいる。
だが、皮肉というか必然というか、現実にはこの世の全てを言葉や方程式で紡がれた法則や理論で導き出し、その正体を判明させることは決して出来ない。この世界は物質だけで出来ているわけではない。
いや、物質は真に物質じゃない。形あるモノは、すぐに形がなくなるほど曖昧模糊。だから、世界は物質と言うより音楽に近い。
…わかるかな?
…それに、全ての音楽を統括する指揮者兼作曲家が居るんだ。…それにしても、そのお方は『一体誰だろう』?同じように、『音源』は何処にあるのだろうか。
そして、誰にも聞こえない至高の美しさを誇る旋律…。本来、科学は詩的な感傷(ロマン)を一切を許さないが、だからと言って、文学的な古典(クラシック)だろうが、扱いは同じだろう。広がりもしない、狭くもならない、理解できる法則と理論に支配された世界だけが安住の地。だから、実験室=鳥籠、または妄想を忠実に再現した箱庭なのだ。決して世界ではない。
僕たちは、いつか、いつの日か、鳥を閉じ込める籠の、自分のこしらえた箱庭の外へ出なければいけない。たとえ、その手段が僕たちの死や轟沈…、そして、境界の崩壊であろうとも。…それでも、外へ出なければならない。実験室の外へ、籠の外へ、箱庭の外へ。
…さぁ、飛ぼうじゃないか。そんな狭い狭い境界の中に、自分を押し込めないで。君達の生きている空間は、僕たちの駆け抜ける宇宙と大空より、あまりにも狭いのだから…。じゃあ、飛ぼう。今すぐに。今しか飛べない『いつか過去になる鉛色の空』を。そして『久遠に青い晴れ空』を。やっぱり、僕たちもガレッガシリーズのように、どんな遠くや果てにもいけるように、自由かつ八方向に動けるのが一番なんだね。できれば、プロペラも無いのが理想なんだね。
…さみしいけど。……さみしいね。………すごく!…………もう、いいんだ!僕たちは、僕たち個々が持つ、必要最低限のモノだけを除いて、所有物全部を、できるだけ早い内に必ず捨て去らなければいけない、のだから!それが、まごうことなき究極の…、高度に進化した簡素と洗練なのだから!そうだよ、戦う機械の虎が究極と神格化されたのと、同じように。
…つまり。僕の言う、洗練の有頂天へと、究極という名の天頂点へと上りつくこと。
…あの日、兄さんと夜明けの空を鳥達と共に飛んでいた。その、一生忘れない大切な思い出。…きっと、そのシーンは、君にとっても良い目標イメージになると思う。いつか神の国を見るための。
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…やっと、『一日の食事』を終える。食事と睡眠を楽しまない人間は異様な少数派だが、それでも僕達兄弟は元気に
楽しく鋼鉄の砂漠を生きている。…一息ついて周りにいる、工場で同じ環境で『生きている』感情や個性を持たない機械たちを見る。
…やはり、個性ほど非合理なモノは無い。人と交わり絆を深めようとする個性的な意志は、逆に自分の世界と殻に引きこもる人間を作り出す。機械は迫害されることも、孤立することも無いというのに。
言っておくが、僕達兄弟は合理的に生きることで、自分達が高められると信じている。さっきの一日一食でヴィーガン(※純粋に植物性の食材だけしか摂らない菜食主義)であることもそうさ。とても赤身の…いや、白身の肉すら口には出来ない。魚介類を食するのは、あまりそういう土地柄じゃないから苦手だ。乳製品はもともと美味しくないと感じるようで、あまり食べようとも思わない。…グルメなんてもっての他さ。…つまらないよね。
人体を機械に例えるのはかなり躊躇するが…、僕達兄弟は三号機バロンにも負けず劣らずの低燃費だ。バロンが燃料を必要としないように、僕達兄弟もそれほど燃料の必要が無い。ただ必要なのはディーゼル油ではなく、『機械油(の役割を果たす栄養)』くらいなモノだ。世間の人は美味しいものを食べることを楽しみとするが、僕達兄弟は食事を取らないこと、或いは断食を楽しみとする。空腹であることで、神の御言葉が僕達兄弟を満たすのだ。そのおかげで、食事による苦痛も、餓えによる免れない無力感もほぼ軽減されてしまった。たかだか、至上の美食を食べて、これまた至上に喜びを表して、一体どうだというのだろう。神の御言葉ほど美味なるモノはないというのに。…だから、キリストは神の恵み、そして愛の味を知っていたのだ。
…それにしても。
…どうしてなんだろうね。みんながみんな、目先のことしか興味が無いんだ。もちろん、日常の食事、グルメやファッション・服装のことだけじゃない。もし、君が「違う」というのなら、周囲の人間が話していることを耳を澄ましてごらんよ。全部、住んでいる街や県、区域、もしくはそこで形作られる人間関係止まりで、もっと高くて広い、全国まるごと・全世界をカヴァーするレベルの視点から見た意見や話題なんて、めったに口や会話から出てこないから。…こうやって、人間は籠の鳥・箱庭の人形になっていくんだ……。
あぁ、イヤなモノだね。籠の中で生きている内に、その籠の中が全世界、籠以外を含む世界のすべてだと思い込む。
…あぁ、こればかりは。…本当に。…どこまでも、どうしようもない!…なぜ、いつまで経っても籠の中から出ないんだ!!
…いつも、僕は飛行機で空を飛ぶと、街も海も陸をも見る。隣の国まで見えることすらある。
だが、そんな空を飛ぶことを知らない、善良な一般市民はいつまでも自分の認識できる箱庭世界だけが全てで、自分が常にナンバーワンの『お山の猿大将』をやっている。自分達の住んでいる世界は所詮、箱庭や水槽に過ぎない、というのに。ただ、それが悲しむべきことに地べたに這いつくばって生きる動物には、わからないだけだ。
…さて、悲しいかな。対地兵器――特にナパームは、地べたに這いつくばる含むその動物を含む、地に根付いて生きる全てを焼き尽くしていく。…しかも、それは僕達兄弟謹製の爆弾と武器だった……。
果たして、あの火薬と超高温火炎による灼熱は、彼等彼女等にとって煉獄になったのだろうか。逆に、僕達兄弟がしてしまったのだろうか。とにかく、日々の生活コースや日常を壊さなければ、見えてこないモノなんてたくさんある。それはもう、ありすぎて困るほどに。さて、彼等彼女等のどのくらいが、『煉獄』にいる間に、そのことに気が付けたのだろうか。…ところで、君は今、この僕達兄弟の考察と熟考を、あまりにも『非道く残酷な問いかけ』だと思うだろう。たとえ、どんなに君が侮蔑しようが、別にそれは構わない。
…人生に意味と力強さを見出さない人間ほど、つまらない死に方をする。そういうモノだろう?
とてもじゃないが、抗議も反駁も出来ないだろうね。…だって、君だって僕が思うにおそらくは、きっとそうだろうから…。
『決して、真実はこころ良いモノではない。それでも、真実を見ようとする者だけが、慰められる。』のだし。さてはて、話をかえようか…。
「聞く耳を持つ者は聞きなさい。」はるか昔に、神の子と讃えられた子羊は神の御言葉について、こう説明した。
だが、はるか遠くに針の落ちる音を聞き取るような聡明な聴覚を持っていても、「聞きたい!」「聞こう。」という要求と意志がなければ、その御言葉は…。どんな労力を尽くそうが、手段を取ろうが…。どうあがいても聞くことは出来ない、のだった。
…実に、そうなんだよ。「主よ、ただ御言葉をお聞かせください。…そうなれば、私のしもべは必ず癒されますから。」
それは、褒め称えるべき音楽から美を見出すときにも同じだった。そして、誰もが美を見ないところに、醜さを見る。
―優れたモノを認めないことこそ、即ち野蛮である。 …低俗か高尚かを判断するリトマスペーパー、それ以外の何者でもないのだ。
…さて、かのいう優れたモノとは。言うまでも無く、この宇宙で高尚さの頂点を体現した――その究極形である美を誇るのは、幾何学的な芸術である。造化者の描いた図形は、宇宙にあまねく高尚な美と自然をもたらした。実際、そのような世界に全てが生きている。…それでも、もしまだまだ未熟な人間が同じ法則と理論を駆使したらどうなのだろうか?
…少なくとも、あのとっくに滅んだ幾何学の街(Geometric City)は永遠の幻想として残り続けるだろう、と僕は推測する。同じく、機械と不自然しかない惑星内部の無人都市も…。それにしても、どこまで幾何学を極めると人工的なモノは造化者の作品と等しくなるのだろうか?…それは、人間が人間であり続ける限り無理なのだろうか? …もし出来ないとしたら、…仮に出来ないとしてだ。どうしてだ!!!!!????僕達兄弟の創造は限りなくその境地に近づきたい、というのに!!!!????
人は神になれないということなのか!!!!!!!!?????? …『神は、人を自身に形取られて御創りになられた』のに!!
…。
…そうだね。もうこの話はやめよう。
…やめようね、じゃあ…。
…。
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僕は、ある日名も無き音楽を見つける。そして、聴いてみる。なかなか、良いモノだった。
それはまるで、価値のある究極に洗練された古典を、すべて音に変えたような天の歌だった…。
実際、音楽は一番高尚な芸術だという。その理由は、『数ある芸術の中で一番不純物や雑音が入らないから』だと。…つまり純粋な幾何学で構成されている、ということだろう。
それならば、楽器などの音源は、幾何学をつむぎだすペンや絵筆なのだろうか。そう考えると、視覚と聴覚のスキマ――共感覚(アナスタシア)的な芸術も、また幾何学的であり抽象的――そのようなのかもしれない。……?
……理念と言う誘蛾灯の光に導かれたのは、やはり頭の悪い動物的人間という名の下らない羽虫だったのか?
確かに、具象を理解することなく、抽象を理解しようとするのは、愚かだ。どう見てもそういうのは、まさに土台が砂の家だ。だけれども、抽象は具象より高いところにあり、地に近しいそれらを見渡すことが出来る。…そうだよ。僕達兄弟の理想だ。そして、神に捧げられた子羊の理想でもある。天から地へ降りてきて、目的と指名を果たしてまた還る…。地に還ることなく、天に…。
神の子、即ち彼にとって、天こそが故郷であり、真の親や家族が住まう場所だった。いつもどこでも、天のことを忘れず、大地に這いつくばって生きることはしなかった。あぁ、確かに(Sure)、古代から星の数よりあまたもの人が褒め称えるように、まごうことなき神だった…。
…賽が水面の静寂に投げられる。――波紋。幾何学の美しい図形。円形を一つのブレもなく。神の御業。原初の創造。その美しい文様が、水面の隅々まで行き渡る。平和と言う静寂は、波紋によって戦争に変わった。万人が万人に対して蜂起する。下僕は主人に、息子は父に。もしかすると、賽ではなく、本当は剣だったのかもしれない。
誰かの意志が、変化と革命のために、火を投げ入れた、…そのことは間違いないだろう。
そう、火とは破壊と戦争、火薬と内燃機関で構成された僕達兄弟の作品が、平和と水に溢れ場所を悉く焼け野原にしたように。こうして、僕達兄弟は率先してそれを止めるためにそれを行ない、結局僕達兄弟の故郷も瓦礫と虚無の巣屈になった…。
『創造に破壊は必要ない。』そう言い聞かせようとも、起こるべき変化と恒久的な輪廻の法則はそうなっていた。
ただ、破壊が内的か外的かの違いだけだった。同じように、即急の革命は穏やかな変容や静かな崩壊や移ろいだけでは解決できない、のだった。フォースに満ちた力。パワーに満ちた権限。僕達兄弟は大陸戦争を通じて、前者に身を投じなければならなかった。
…新しい創造と時代のために。…古い腐敗を破壊するために。
…あの時、エンジンが高らかにうなりを上げた。…それは僕達兄弟だけにとって、…あと、大陸戦争もだが、それらは一体何を意味していたのだろうか。全体的な意味はどうでもいい。ただ、個人的な意味は一体なんだったのか? Answer.…答えられない。
…ただ、音楽と世界そのものに、意味を一番最初に見出した。芸術や景色という意味が。その色彩に、その情景に、その土地に、その触感に、その芳香に、『あの子』と僕達兄弟の機械たちに、その幻想と現実の境界線上に…。同じく、その音に、その旋律に、そのテンポに、その調音に、その幾何学的な洗練に、そのパーカッションに、その響きに…。
世界そのものが独特にオリジナリティあふれる響き方をすると、音楽も全く違いの無い響き方をした。すべては、天籟であり歌曲だったのだ。世界そのものが世界自体が、遺産だったのだ。
…だから、いつまでも末永く残していかなければならない。僕達の代や未来のいつかで絶えることの無いように。
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音楽を聴いて、そっと思い出す。大陸戦争…。
確かに、僕達兄弟の列伝と同じで、それは歴史書には書かれていないけれども…。
…未来への、後世への、将来への遺産。それらを破壊してはいけない。決して!忘れてはいけない!決して!
だけれども、大衆は全て己の過ちごと忘れていく。彼等彼女等にとって新しいモノは救世主であり光だが、古いモノはかつてその救世主と光によって、暗闇に葬られた恐怖の神々だった。『古くて不気味で怖い』…。別にホラー作品でもグロテスクでもないのに、そういう侮蔑的偏見をもたれるのは何故だろう?
ただ単に、何の理由もカッコたる原因もなく、『気分的に』『なんとなく』ってだけで墓場に押し込めないでくれるかな? …ねぇ?お坊ちゃんにお嬢ちゃん?お姉ちゃんにお兄ちゃん?
『近現代文明の特徴。先祖の遺産――伝統と古典と過去と歴史とを切り捨てること』…今、その言葉がかったるい中、木霊する。
…いつか、あの『遺産』も早々と切り捨てられるのだろうか。…また社会と民衆が、喜び勇んで聖者を処刑する日が来るのだろうか。山羊と毒麦など全て焼き尽くされてしまえ。生き残るのは羊と麦だけでいい。
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…さて。FM音源が、至極力強く重々しく金属的で華麗な演奏を始める。
…Stab and stomp!まるで死の舞踏。
…Trust and Thrash!まるで滑稽な歌劇。
…Emputer.まるで生と死の未分化。
乱暴なキック、それに順ずるスネア。鉄が落ちてきた音よりも重い打楽器音。美しくも切ない音を奏でる内蔵音源の楽器たち。ギラギラと色が明るいが重量がある金属がぶつかる高音。なによりも正気でない何かを訴えるその電飾照明的な表現。
あえて低くされたサンプルレート。高いほうが良い、とは限らない。ざらついたレトロな質感が合わさって、歴史的な重みを演出す
る。鈍色の雲、反逆への自覚。…うっとうしいはずの、早く晴れて欲しいはずの曇り空がこんなにも、幻想的でロマンティックだなんて。厚い厚い灰色の雲という天蓋。その中に『あの子』と『また会えた子たち』が…。いろいろ複雑な感動の再会。どの歴史上にも残るはずだった死闘であり名勝負。
だけれども、あの日の天気のことを、西方大陸の一地域に住み着く大衆は誰もが『忌まわしい曇り空』だと口々に言う。あの時、ウェイン兄弟は雲をガレッガシリーズ二機とともに、感動の再会を迎えた後、『あの子』と文字通り生死をかけた空戦をしながら、雲を必要以上に掻き混ぜていった。当然、雲が撹拌されて、雨を降らせる雲が発達する。結果、西方大陸には珍しい、天空からのとてつもない滝になった。
偶然にも、その目にあった上に感動との再会、それに死闘と名勝負を知らない一般市民はこういった。
「これだから、曇りはイヤなんだ。」「ああ、本当に忌まわしい。」
…晴ればかり有難がる人々には困ったモノだ。だから、一度飛んでみて(Fly to)はいかがだろうか…?鉛色の空へ(The Leaden Sky).
そして、上から見下ろそう。鋼鉄の連邦国家に鉄とガソリンの世界を。目を向けると、そこに見えるのは…。
…ディーゼルパンク。…デトロイトの幻想。
…セピア色の時代、鈍色の兄弟。そして、色あせた時代。暗黒の近代城塞でありこの星の文明的最先端――連邦国家首都。朽ち果てた精神的廃墟のメロディ、虚無の哀愁。少年達と反乱軍の色合い、それに兄弟と我々との思い出と懐古録。選ばれたモノ以外、誰もいない楽園。神の御国。静寂の聖域(サンクチュアリ)。
少量で何もないゆえの不足感、そして、様々な渇望。何もかもを、全てを欲さないゆえの充足感、そして、様々な創造。
…『天国には不足は存在しない。あるのは充足だけだ。』砂漠や荒野そのものを、やせ我慢して天国と言うのはどうだろうか?天国は個人個人の内部にある。天にあるなら鳥達が、地にあるなら近くの動物達が、先に行き着くはず。だが最初から、天国に行き着くモノは、あなたが一番最初だと決まっている。
実は、欲望は当の本人、自ずからは出てこない。必ず、それは当の本人―――自分以外の何か、他者や外物などの『誰か』に仕向けれたのだ。『欲望を出しなさい、これを欲しなさい。満たされれば、あなたは喜ぶから。』欲するモノを与えるもの、その為に人の欲望を操作するモノ。あなたが何かを欲するとき、必ず誰かに操作されているのだ。「じゃあ、一体誰に?」
…それを内側への洞察(Insight→In sight)で、探し出す。それこそが自己観察の基礎、それに他ならない。
…えぇっと。あぁ、ごめんなさい。もう少しも。話すことは無いのです。お開きお開き。
<終>
::::::::::::::::::::::::::::::::
なぜ、幾何学は哲学の礎なのだろうか?それにしても、なぜプラトンの時代から?文系と理系の国境線をなぜ区別しない?
※バトルガレッガ二次創作
益者三友、悪者三友。家畜に知性も教養も無い。そう考えると、曇り空が青く晴れた。
友達なんて幻想。親友なんて妄想。全ての人が兄弟姉妹。親友。即ち、四海兄弟(Brotherhood of the Man)。コミュニティは常に鳥籠。精神的密室、灼熱か水に沈められるシンデレラケージ。
FM音源…。
もし、懐古主義ではなくても、FM音源の奏でる音楽を聴くと、レトロゲーマーたちは深い楽しみと昔の良さを、いつも噛み締めた。
個人的に、それは愛煙家が歯噛みタバコをたしなみ、好きこのむ感覚によく似ていたと思う。
当時も今も多くのモノたちが、ドット絵のザラザラした質感にベストマッチする、独特の金属音と波長変換による幻想のように響く音色に魅了された。
さて、FM音源とはいかなる楽器であったのだろうか。視覚的な表現で筆者なりに拙い解説をしてみると、
水面に移るいくつもの波紋が、作曲者の手腕とFM音源の働きによって、演奏中ずっと幾何学的な模様を描き続け、美しい抽象的で言葉では言い表せない、実写映像――そのような一種の動画を作り出す。…我ながらあまりにも難解だが、それに近い。
一言で乱雑に説明を片付けてしまえば、『他に類を見ない独特の響きや揺らぎによって音楽が成り立つ。』…ということだろう。
…。もし、チャンスがあるとするなら。実際、一度その音源の奏でる音楽を、あなたがたが聞いていただければ、その音源がどのようなモノなのか、何の解説も文章もいらないだろう。昔からこの世で一番偉大な書物にも、…神の子として生きた聖者の御言葉を、そう記録してあるように『聞く耳を持つモノは聞くがよい。』ということなのだから。
…いや、神の御言葉自体が音楽かもしれない。決して、耳に聞こえる演奏や楽曲だけが音楽として扱われる、そんな訳がないだろうから。
もしかすると、声高々に宇宙の震える音自体が音楽かもしれない。多分、数学の方程式が数学そのものであるのと、同じだろう。
さて、手持ちの書籍から言葉を引用してみると、偉大なる詩人・ゲーテ曰く、「音楽は、この世でもっとも高尚な芸術である。」…さらに、それはなぜか?という素朴な疑問に、待ち構えていたように偉大なる詩人は理由を述べる、「音楽は、世俗という不純物が一番混ざること適わぬ故に。」どうして、詩人が歌の無い楽曲、数学の抽象的表現といわれる音楽の核心と本質を突くほど、どうしてここまで深く理解できるのだろうか。
当然ながら、あの素晴らしい偉大なる詩人は…。職業柄根っから文系の人、…だが、音楽はとても数学的で科学的な世界であることを知っていたし、判りきっていた。それに、古代ギリシャ哲学の世界で、なぜ幾何学という理系分野がテストとして使われたのか、その理由も上に同じく。今の世には、論理に疎い文系を馬鹿にし、自らを『インテリの理系』と称する輩が増えているが、本当の知識人や賢者と言うモノは、決して文系か理系かは、全く気にしていないし、必ずどちらにも精通しているモノだ。
ただし、『神聖な学識』は途絶えてしまった。これからは、それがもっと深刻になるだろう。ただ、今僕に出来るのは、後の時代にその学識が帰ってくるように、もしかえってこなくても、語り継いでくれる者が我々の代や未来で途絶えないように、あるいは末永く継承され続けることを祈ることだけだ…。
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…世界内存在に響く鼓動。そして、
…世に処する僕に響く、鉄とガソリンのオーラを帯びたパーカッション。
西方大陸の、港に面したしがない田舎町には、主に航空機や乗用車を扱う古びた工場がある。そして、その郊外には、まだ原初の大自然が残っている。なんとも、不可思議な環境だが、変に連邦国家のように100%に限りなく近く機械化・人工化するほうが比較にならないほど問題が多いだろう。
そして、当然ながら、美しい乙女の奏でる琴と例えるべき自然界の高周波と真正面からぶつかり合うように、ただ騒がしく耳に痛いだけ音、工場からかなり重い低周波が揺れ動き渡る。この高周波と低周波の不協和音は、僕達兄弟は完全に慣れていて全くの平気だが、仮に超音波も聞こえる超聴覚の持ち主だったら…。気の毒だが、相当来るだろう。彼と彼女には、産業革命は人類と文明における終りの始まりにしか感じられないだろう。
…実際そうなのだが。
「兄さん、バロンの修理と整備終わった?」
「ああ、もう終わったよ。すこし休もうか。」
毎日ただ一回だけの食事として、卵やチーズ、肉や魚すらも挟んでいないサンドイッチと紅茶を取る。言っておくが、コーヒーは泥水だ。飲めないよ。そんなの。
「…それにしても、近所に騒音に対して敏感で、やたら突っかかってくる人がいなくてよかったよね。」
「そうだよね。だって、そういうのはともかく、普通の一般人でもプロペラや機械の音を、何も知らないくせに騒音扱いするんだからね。」
確かに、プロペラの無機質かつあまりに重々しく苦痛を与える音は『うるさい騒音』だと誰もが認め、言うところではある。
だが、それにある一定の状況が加わったらどうなのだろうか。…例えば、誰も知らないところに、密かに工場を作った峡谷地帯、麗しく牧歌的な高原地帯、まさに人類の無鉄砲を体現した超巨大兵器生産ライン、撃ち捨てられたはずだが、そこにまた人と兵器が戻ってきた海上プラント。運命と浮遊感の鈍い色をした雲海。人間至上主義とそれからくる傲慢に裏付けられたヒト科達の『連邦国家という名の縄張り』。中心から辺境への秘密滑走路。
そして、鉛色の空に、青い景色。・・・ただ、そんな状況や雰囲気が加わるだけで、とても赴き深いものになるのではないだろうか。
鉛色の空(Leaden sky)をどんよりとした空気まで再現したメロディ。いつか晴れるだろうと思いながら、青い空を夢見る。
水面下の城壁(Underwater Rampart)を思わせる音楽。森の中に光が、水の下に歴史が沈んでいるこの美術的感触。
偏狭な視点(Tunnel Vision)を体現する音楽。人格と個性も無い機械たちのエンジンが刻む鼓動。
倒錯(Degenecy)を髣髴とさせる音楽。リビドー(性的本能)を捨てきれず、理想の機械になりきれない生物の哀愁。
反逆への自覚(Subversive Awareness)そのものである音楽。言葉には決して出来ない心の奥に潜んだ願望。
誇大妄想狂(Megalomaniac)の連邦国家を表現する音楽。「境界外にはお前より強い奴がゴロゴロいるんだ!」
境界精神(Marginal Conciouness)と僕達そのものを表現する音楽。中心ではないからこその存在感。
…景色を閉じ込めた音楽は、僕たちにとって理想郷を模した観光地だった。たとえ、それが見るにも居るにも耐えられず、実際そこいることが不快で、もしそこにいたら今すぐに、自ずから消え去りたい場所であったとしても…。幻想というフィルターが全てを美化させるのだ。恋人が人間としてあまりに不出来でも、聖人の如く無償の愛を注いでしまう彼氏や彼女のように。
…本来、愛おしくない憎いモノが、憎めなくなり愛おしくなるこの感覚。僕たちは矛盾ばかりの生き物だ。…それでも、意識的に人生を歩んで生きていたい。美しくも麗しい幻想を、心から本気で楽しめるような感じで。
…ご存知のとおり、僕たち兄弟はいうまでもなく科学理論を下地として、機械技師兼パイロットとしてやってきている。が、やはりというか、音楽を理論以上に解析・把握することはとても難しい。ただ、楽しんだり、味わうことが出来る。それでも、論理的には不可解すぎる。
やはり、科学は万能ではない。それでも、無神論系科学者の殆どが、科学理論でこの世の全てを説明できると信じ込んでいる。
だが、皮肉というか必然というか、現実にはこの世の全てを言葉や方程式で紡がれた法則や理論で導き出し、その正体を判明させることは決して出来ない。この世界は物質だけで出来ているわけではない。
いや、物質は真に物質じゃない。形あるモノは、すぐに形がなくなるほど曖昧模糊。だから、世界は物質と言うより音楽に近い。
…わかるかな?
…それに、全ての音楽を統括する指揮者兼作曲家が居るんだ。…それにしても、そのお方は『一体誰だろう』?同じように、『音源』は何処にあるのだろうか。
そして、誰にも聞こえない至高の美しさを誇る旋律…。本来、科学は詩的な感傷(ロマン)を一切を許さないが、だからと言って、文学的な古典(クラシック)だろうが、扱いは同じだろう。広がりもしない、狭くもならない、理解できる法則と理論に支配された世界だけが安住の地。だから、実験室=鳥籠、または妄想を忠実に再現した箱庭なのだ。決して世界ではない。
僕たちは、いつか、いつの日か、鳥を閉じ込める籠の、自分のこしらえた箱庭の外へ出なければいけない。たとえ、その手段が僕たちの死や轟沈…、そして、境界の崩壊であろうとも。…それでも、外へ出なければならない。実験室の外へ、籠の外へ、箱庭の外へ。
…さぁ、飛ぼうじゃないか。そんな狭い狭い境界の中に、自分を押し込めないで。君達の生きている空間は、僕たちの駆け抜ける宇宙と大空より、あまりにも狭いのだから…。じゃあ、飛ぼう。今すぐに。今しか飛べない『いつか過去になる鉛色の空』を。そして『久遠に青い晴れ空』を。やっぱり、僕たちもガレッガシリーズのように、どんな遠くや果てにもいけるように、自由かつ八方向に動けるのが一番なんだね。できれば、プロペラも無いのが理想なんだね。
…さみしいけど。……さみしいね。………すごく!…………もう、いいんだ!僕たちは、僕たち個々が持つ、必要最低限のモノだけを除いて、所有物全部を、できるだけ早い内に必ず捨て去らなければいけない、のだから!それが、まごうことなき究極の…、高度に進化した簡素と洗練なのだから!そうだよ、戦う機械の虎が究極と神格化されたのと、同じように。
…つまり。僕の言う、洗練の有頂天へと、究極という名の天頂点へと上りつくこと。
…あの日、兄さんと夜明けの空を鳥達と共に飛んでいた。その、一生忘れない大切な思い出。…きっと、そのシーンは、君にとっても良い目標イメージになると思う。いつか神の国を見るための。
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…やっと、『一日の食事』を終える。食事と睡眠を楽しまない人間は異様な少数派だが、それでも僕達兄弟は元気に
楽しく鋼鉄の砂漠を生きている。…一息ついて周りにいる、工場で同じ環境で『生きている』感情や個性を持たない機械たちを見る。
…やはり、個性ほど非合理なモノは無い。人と交わり絆を深めようとする個性的な意志は、逆に自分の世界と殻に引きこもる人間を作り出す。機械は迫害されることも、孤立することも無いというのに。
言っておくが、僕達兄弟は合理的に生きることで、自分達が高められると信じている。さっきの一日一食でヴィーガン(※純粋に植物性の食材だけしか摂らない菜食主義)であることもそうさ。とても赤身の…いや、白身の肉すら口には出来ない。魚介類を食するのは、あまりそういう土地柄じゃないから苦手だ。乳製品はもともと美味しくないと感じるようで、あまり食べようとも思わない。…グルメなんてもっての他さ。…つまらないよね。
人体を機械に例えるのはかなり躊躇するが…、僕達兄弟は三号機バロンにも負けず劣らずの低燃費だ。バロンが燃料を必要としないように、僕達兄弟もそれほど燃料の必要が無い。ただ必要なのはディーゼル油ではなく、『機械油(の役割を果たす栄養)』くらいなモノだ。世間の人は美味しいものを食べることを楽しみとするが、僕達兄弟は食事を取らないこと、或いは断食を楽しみとする。空腹であることで、神の御言葉が僕達兄弟を満たすのだ。そのおかげで、食事による苦痛も、餓えによる免れない無力感もほぼ軽減されてしまった。たかだか、至上の美食を食べて、これまた至上に喜びを表して、一体どうだというのだろう。神の御言葉ほど美味なるモノはないというのに。…だから、キリストは神の恵み、そして愛の味を知っていたのだ。
…それにしても。
…どうしてなんだろうね。みんながみんな、目先のことしか興味が無いんだ。もちろん、日常の食事、グルメやファッション・服装のことだけじゃない。もし、君が「違う」というのなら、周囲の人間が話していることを耳を澄ましてごらんよ。全部、住んでいる街や県、区域、もしくはそこで形作られる人間関係止まりで、もっと高くて広い、全国まるごと・全世界をカヴァーするレベルの視点から見た意見や話題なんて、めったに口や会話から出てこないから。…こうやって、人間は籠の鳥・箱庭の人形になっていくんだ……。
あぁ、イヤなモノだね。籠の中で生きている内に、その籠の中が全世界、籠以外を含む世界のすべてだと思い込む。
…あぁ、こればかりは。…本当に。…どこまでも、どうしようもない!…なぜ、いつまで経っても籠の中から出ないんだ!!
…いつも、僕は飛行機で空を飛ぶと、街も海も陸をも見る。隣の国まで見えることすらある。
だが、そんな空を飛ぶことを知らない、善良な一般市民はいつまでも自分の認識できる箱庭世界だけが全てで、自分が常にナンバーワンの『お山の猿大将』をやっている。自分達の住んでいる世界は所詮、箱庭や水槽に過ぎない、というのに。ただ、それが悲しむべきことに地べたに這いつくばって生きる動物には、わからないだけだ。
…さて、悲しいかな。対地兵器――特にナパームは、地べたに這いつくばる含むその動物を含む、地に根付いて生きる全てを焼き尽くしていく。…しかも、それは僕達兄弟謹製の爆弾と武器だった……。
果たして、あの火薬と超高温火炎による灼熱は、彼等彼女等にとって煉獄になったのだろうか。逆に、僕達兄弟がしてしまったのだろうか。とにかく、日々の生活コースや日常を壊さなければ、見えてこないモノなんてたくさんある。それはもう、ありすぎて困るほどに。さて、彼等彼女等のどのくらいが、『煉獄』にいる間に、そのことに気が付けたのだろうか。…ところで、君は今、この僕達兄弟の考察と熟考を、あまりにも『非道く残酷な問いかけ』だと思うだろう。たとえ、どんなに君が侮蔑しようが、別にそれは構わない。
…人生に意味と力強さを見出さない人間ほど、つまらない死に方をする。そういうモノだろう?
とてもじゃないが、抗議も反駁も出来ないだろうね。…だって、君だって僕が思うにおそらくは、きっとそうだろうから…。
『決して、真実はこころ良いモノではない。それでも、真実を見ようとする者だけが、慰められる。』のだし。さてはて、話をかえようか…。
「聞く耳を持つ者は聞きなさい。」はるか昔に、神の子と讃えられた子羊は神の御言葉について、こう説明した。
だが、はるか遠くに針の落ちる音を聞き取るような聡明な聴覚を持っていても、「聞きたい!」「聞こう。」という要求と意志がなければ、その御言葉は…。どんな労力を尽くそうが、手段を取ろうが…。どうあがいても聞くことは出来ない、のだった。
…実に、そうなんだよ。「主よ、ただ御言葉をお聞かせください。…そうなれば、私のしもべは必ず癒されますから。」
それは、褒め称えるべき音楽から美を見出すときにも同じだった。そして、誰もが美を見ないところに、醜さを見る。
―優れたモノを認めないことこそ、即ち野蛮である。 …低俗か高尚かを判断するリトマスペーパー、それ以外の何者でもないのだ。
…さて、かのいう優れたモノとは。言うまでも無く、この宇宙で高尚さの頂点を体現した――その究極形である美を誇るのは、幾何学的な芸術である。造化者の描いた図形は、宇宙にあまねく高尚な美と自然をもたらした。実際、そのような世界に全てが生きている。…それでも、もしまだまだ未熟な人間が同じ法則と理論を駆使したらどうなのだろうか?
…少なくとも、あのとっくに滅んだ幾何学の街(Geometric City)は永遠の幻想として残り続けるだろう、と僕は推測する。同じく、機械と不自然しかない惑星内部の無人都市も…。それにしても、どこまで幾何学を極めると人工的なモノは造化者の作品と等しくなるのだろうか?…それは、人間が人間であり続ける限り無理なのだろうか? …もし出来ないとしたら、…仮に出来ないとしてだ。どうしてだ!!!!!????僕達兄弟の創造は限りなくその境地に近づきたい、というのに!!!!????
人は神になれないということなのか!!!!!!!!?????? …『神は、人を自身に形取られて御創りになられた』のに!!
…。
…そうだね。もうこの話はやめよう。
…やめようね、じゃあ…。
…。
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僕は、ある日名も無き音楽を見つける。そして、聴いてみる。なかなか、良いモノだった。
それはまるで、価値のある究極に洗練された古典を、すべて音に変えたような天の歌だった…。
実際、音楽は一番高尚な芸術だという。その理由は、『数ある芸術の中で一番不純物や雑音が入らないから』だと。…つまり純粋な幾何学で構成されている、ということだろう。
それならば、楽器などの音源は、幾何学をつむぎだすペンや絵筆なのだろうか。そう考えると、視覚と聴覚のスキマ――共感覚(アナスタシア)的な芸術も、また幾何学的であり抽象的――そのようなのかもしれない。……?
……理念と言う誘蛾灯の光に導かれたのは、やはり頭の悪い動物的人間という名の下らない羽虫だったのか?
確かに、具象を理解することなく、抽象を理解しようとするのは、愚かだ。どう見てもそういうのは、まさに土台が砂の家だ。だけれども、抽象は具象より高いところにあり、地に近しいそれらを見渡すことが出来る。…そうだよ。僕達兄弟の理想だ。そして、神に捧げられた子羊の理想でもある。天から地へ降りてきて、目的と指名を果たしてまた還る…。地に還ることなく、天に…。
神の子、即ち彼にとって、天こそが故郷であり、真の親や家族が住まう場所だった。いつもどこでも、天のことを忘れず、大地に這いつくばって生きることはしなかった。あぁ、確かに(Sure)、古代から星の数よりあまたもの人が褒め称えるように、まごうことなき神だった…。
…賽が水面の静寂に投げられる。――波紋。幾何学の美しい図形。円形を一つのブレもなく。神の御業。原初の創造。その美しい文様が、水面の隅々まで行き渡る。平和と言う静寂は、波紋によって戦争に変わった。万人が万人に対して蜂起する。下僕は主人に、息子は父に。もしかすると、賽ではなく、本当は剣だったのかもしれない。
誰かの意志が、変化と革命のために、火を投げ入れた、…そのことは間違いないだろう。
そう、火とは破壊と戦争、火薬と内燃機関で構成された僕達兄弟の作品が、平和と水に溢れ場所を悉く焼け野原にしたように。こうして、僕達兄弟は率先してそれを止めるためにそれを行ない、結局僕達兄弟の故郷も瓦礫と虚無の巣屈になった…。
『創造に破壊は必要ない。』そう言い聞かせようとも、起こるべき変化と恒久的な輪廻の法則はそうなっていた。
ただ、破壊が内的か外的かの違いだけだった。同じように、即急の革命は穏やかな変容や静かな崩壊や移ろいだけでは解決できない、のだった。フォースに満ちた力。パワーに満ちた権限。僕達兄弟は大陸戦争を通じて、前者に身を投じなければならなかった。
…新しい創造と時代のために。…古い腐敗を破壊するために。
…あの時、エンジンが高らかにうなりを上げた。…それは僕達兄弟だけにとって、…あと、大陸戦争もだが、それらは一体何を意味していたのだろうか。全体的な意味はどうでもいい。ただ、個人的な意味は一体なんだったのか? Answer.…答えられない。
…ただ、音楽と世界そのものに、意味を一番最初に見出した。芸術や景色という意味が。その色彩に、その情景に、その土地に、その触感に、その芳香に、『あの子』と僕達兄弟の機械たちに、その幻想と現実の境界線上に…。同じく、その音に、その旋律に、そのテンポに、その調音に、その幾何学的な洗練に、そのパーカッションに、その響きに…。
世界そのものが独特にオリジナリティあふれる響き方をすると、音楽も全く違いの無い響き方をした。すべては、天籟であり歌曲だったのだ。世界そのものが世界自体が、遺産だったのだ。
…だから、いつまでも末永く残していかなければならない。僕達の代や未来のいつかで絶えることの無いように。
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音楽を聴いて、そっと思い出す。大陸戦争…。
確かに、僕達兄弟の列伝と同じで、それは歴史書には書かれていないけれども…。
…未来への、後世への、将来への遺産。それらを破壊してはいけない。決して!忘れてはいけない!決して!
だけれども、大衆は全て己の過ちごと忘れていく。彼等彼女等にとって新しいモノは救世主であり光だが、古いモノはかつてその救世主と光によって、暗闇に葬られた恐怖の神々だった。『古くて不気味で怖い』…。別にホラー作品でもグロテスクでもないのに、そういう侮蔑的偏見をもたれるのは何故だろう?
ただ単に、何の理由もカッコたる原因もなく、『気分的に』『なんとなく』ってだけで墓場に押し込めないでくれるかな? …ねぇ?お坊ちゃんにお嬢ちゃん?お姉ちゃんにお兄ちゃん?
『近現代文明の特徴。先祖の遺産――伝統と古典と過去と歴史とを切り捨てること』…今、その言葉がかったるい中、木霊する。
…いつか、あの『遺産』も早々と切り捨てられるのだろうか。…また社会と民衆が、喜び勇んで聖者を処刑する日が来るのだろうか。山羊と毒麦など全て焼き尽くされてしまえ。生き残るのは羊と麦だけでいい。
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…さて。FM音源が、至極力強く重々しく金属的で華麗な演奏を始める。
…Stab and stomp!まるで死の舞踏。
…Trust and Thrash!まるで滑稽な歌劇。
…Emputer.まるで生と死の未分化。
乱暴なキック、それに順ずるスネア。鉄が落ちてきた音よりも重い打楽器音。美しくも切ない音を奏でる内蔵音源の楽器たち。ギラギラと色が明るいが重量がある金属がぶつかる高音。なによりも正気でない何かを訴えるその電飾照明的な表現。
あえて低くされたサンプルレート。高いほうが良い、とは限らない。ざらついたレトロな質感が合わさって、歴史的な重みを演出す
る。鈍色の雲、反逆への自覚。…うっとうしいはずの、早く晴れて欲しいはずの曇り空がこんなにも、幻想的でロマンティックだなんて。厚い厚い灰色の雲という天蓋。その中に『あの子』と『また会えた子たち』が…。いろいろ複雑な感動の再会。どの歴史上にも残るはずだった死闘であり名勝負。
だけれども、あの日の天気のことを、西方大陸の一地域に住み着く大衆は誰もが『忌まわしい曇り空』だと口々に言う。あの時、ウェイン兄弟は雲をガレッガシリーズ二機とともに、感動の再会を迎えた後、『あの子』と文字通り生死をかけた空戦をしながら、雲を必要以上に掻き混ぜていった。当然、雲が撹拌されて、雨を降らせる雲が発達する。結果、西方大陸には珍しい、天空からのとてつもない滝になった。
偶然にも、その目にあった上に感動との再会、それに死闘と名勝負を知らない一般市民はこういった。
「これだから、曇りはイヤなんだ。」「ああ、本当に忌まわしい。」
…晴ればかり有難がる人々には困ったモノだ。だから、一度飛んでみて(Fly to)はいかがだろうか…?鉛色の空へ(The Leaden Sky).
そして、上から見下ろそう。鋼鉄の連邦国家に鉄とガソリンの世界を。目を向けると、そこに見えるのは…。
…ディーゼルパンク。…デトロイトの幻想。
…セピア色の時代、鈍色の兄弟。そして、色あせた時代。暗黒の近代城塞でありこの星の文明的最先端――連邦国家首都。朽ち果てた精神的廃墟のメロディ、虚無の哀愁。少年達と反乱軍の色合い、それに兄弟と我々との思い出と懐古録。選ばれたモノ以外、誰もいない楽園。神の御国。静寂の聖域(サンクチュアリ)。
少量で何もないゆえの不足感、そして、様々な渇望。何もかもを、全てを欲さないゆえの充足感、そして、様々な創造。
…『天国には不足は存在しない。あるのは充足だけだ。』砂漠や荒野そのものを、やせ我慢して天国と言うのはどうだろうか?天国は個人個人の内部にある。天にあるなら鳥達が、地にあるなら近くの動物達が、先に行き着くはず。だが最初から、天国に行き着くモノは、あなたが一番最初だと決まっている。
実は、欲望は当の本人、自ずからは出てこない。必ず、それは当の本人―――自分以外の何か、他者や外物などの『誰か』に仕向けれたのだ。『欲望を出しなさい、これを欲しなさい。満たされれば、あなたは喜ぶから。』欲するモノを与えるもの、その為に人の欲望を操作するモノ。あなたが何かを欲するとき、必ず誰かに操作されているのだ。「じゃあ、一体誰に?」
…それを内側への洞察(Insight→In sight)で、探し出す。それこそが自己観察の基礎、それに他ならない。
…えぇっと。あぁ、ごめんなさい。もう少しも。話すことは無いのです。お開きお開き。
<終>
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なぜ、幾何学は哲学の礎なのだろうか?それにしても、なぜプラトンの時代から?文系と理系の国境線をなぜ区別しない?